【時代】 戦国時代 – 安土桃山時代
【生誕】 天文元年(1532年)
【死没】 慶長6年(1601年)
【別名】 河手良則、通称:主水
【主君】 今川氏→甲斐武田氏→徳川氏→井伊直政
【氏族】 山田氏→川手氏

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概要 (説明はWikipediaより)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。

甲斐武田氏、徳川氏の家臣。

後に井伊氏の家老を務めた。

天文元年(1532年)、今川氏の家臣・山田景隆の子として誕生。

山田氏は三河国の川手城を居城としていた。

[sengoku-2]

父・景隆は松平広忠没後に今川氏から岡崎城の城代として派遣されていたが、桶狭間の戦い直後に松平元康(徳川家康)に岡崎城を返還したことで知られる。

良則は今川氏滅亡後は武田氏に仕え、山県昌景配下として名を挙げた。

甲州征伐後は徳川氏家臣となり、天正10年(1582年)に徳川家康の命で井伊直政の姉・高瀬姫を娶り、直政に仕える。

井伊家中では一門筆頭として、筆頭家老格の木俣守勝よりも席次は上であった。

知行は2500石で、後に4000石となる。

関ヶ原の戦いでは高崎城城代として留守を守った。

[sengoku-3]

慶長6年(1601年)、死去。

家督は養子・良列が継いだ。

しかし、良列は元和元年(1615年)、大坂夏の陣の若江の戦いで戦死し、良列の遺児・良富も寛永5年(1628年)に若年で早世したため、同家は無嗣断絶となった。

幕末の嘉永6年(1853年)に井伊直弼の命で、新野親良の子・河手良貞により川手(河手)家は再興された。

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