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合戦名 黒井城の戦い
合戦の年月日 天正3年(1575年)10月初旬 – 天正4年(1576年)1月15日
合戦の場所 丹波国黒井城
合戦の結果 荻野直正・波多野秀治連合軍の勝利
交戦勢力 赤井軍、波多野軍、酒井党軍 織田軍
指導者・指揮官 荻野直正、赤井忠家、赤井幸家、波多野秀治、波多野秀香、波多野秀尚、丹波酒井氏 明智光秀
戦力 不明 不明

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概要 (説明はWikipediaより)

安土桃山時代に織田信長の命をうけた明智光秀などが丹波国征討を目的に行われた、赤井氏の堅城黒井城への攻城戦。

天正3年(1575年)と天正7年(1579年)の2度にわたり行われた。

永禄13年(1570年)3月、上洛していた織田信長に荻野直正と甥の赤井忠家(直正の兄赤井家清は亡くなり、忠家は家清の嫡男)は拝謁し織田方につくことを約束した。

信長はこれに対して氷上郡・天田郡・何鹿郡の丹波奥三郡を安堵した。

これで丹波は安定するかに思えたが翌元亀2年(1571年)11月、但馬守護で有子山城主山名祐豊と但馬国人の夜久野城主磯部豊直らが氷上郡にあった足立氏の山垣城を攻城した。

黒井城の直正と後屋城の忠家はこの動きに即応し、山垣城に救援に向かい山名・磯部両軍を撃退した。

4年後の天正3年(1575年)に直正は但馬の竹田城を攻城し手中に収め、祐豊は信長に援軍を要請するも、当時信長は信長包囲網にあい、援軍を出せる余裕はなかった。

同年、越前一向一揆が一段落すると信長は明智光秀を総大将に丹波征討戦に乗り出すことになる。

信長としてみれば、吉川元春を討つ前に京都に近い丹波を平定し、背後の敵対勢力を平定するのが目的だったと推察されている。

[sengoku-2]

光秀は越前より坂本城に帰城し、戦の準備を整えて同年10月初旬に出陣したと考えられている。

この時直正は竹田城にいたが、光秀の動きを察知し黒井城に帰城、戦闘態勢を整えた。

これと並行して信長は10月1日、丹波国人衆に向けた朱印状を出し、その調略によって八上城の波多野秀治をはじめ、国人衆の大半を取り込んでいた。

光秀は黒井城の周囲に2、3箇所の砦を築き、黒井城を包囲した。

この頃の戦況は光秀に有利であり、この戦況について光秀は「城の兵糧は来春までは続かないで落城するであろう」と楽観しており、戦いは順調に推移していた(『八木豊信書状』)。

しかし攻城戦開始後2か月以上が経過した翌天正4年(1576年)1月15日、波多野秀治軍が3方向から攻めて明智軍は退却となった。

「赤井の呼び込み軍法」と言われているものである。

この戦いは秀治の裏切りにより勝敗がついたが、呼び込みという言い方は適切ではない。

なぜこのような言い方が伝わったか、信長の朱印状の返事をどのようするか、丹波国人衆が集まり協議を行い「直正のみが信長の意向に従わない、他の国人衆は信長に従うので直正を討ち滅ぼしてほしい」という偽りの返事をしたのではないかと指摘されている。

『籾井家日記』によると「直正と秀治の間には密約があり予定の行動であった」という記載があるが、「その記述は信用できるものではない」と指摘されており、また「赤井、波多野両家は姻戚関係にあり、事前に密約があった可能性があるものの、はっきりした記録はない」とも指摘されている。

『甲陽軍鑑』によると直正は「名高キ武士」として、徳川家康、長宗我部元親、赤井直正と並び紹介されているほどの武将である。

直正には、信長を丹波に呼び込んで討ち取る計略があったのではという指摘もあるが、それらを示唆できる資料も確認されていない。

天正4年1月15日、明智軍は黒井城の前方(南側)にあたる「平松」という土地に移動し、黒井城の四方に陣取り、黒井城を攻め立てるべく準備が整ったところに、三尾城城主赤井幸家(直正の弟)が明智軍に攻撃をして、これに即応して波多野秀香軍と波多野秀尚軍が西、東より挟撃した。

明智軍は体制を整えるべく一旦柏原方面に退却しようとしたが、そこには高見城で赤井忠家が待ち伏せており、明智軍は黒井川に追いやられ逃走した。

[sengoku-3]

敗れた光秀は京都に逃げ込み、その後坂本城に帰城した。

先の戦いから1か月後、再び戦の準備を整え2月18日に坂本城を出陣し丹波に入国したが、この時はほとんど戦わず短期間で引き揚げてしまった。

一方、この戦いで織田軍を破ったことで直正は「丹波の赤鬼」という名を広めた。

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