【時代】 安土桃山時代 – 江戸時代前期
【生誕】 永禄5年(1562年)
【死没】 正保2年8月20日(1645年10月9日)
【別名】 高勝、元勝、長門守、通称:二郎左衛門、次郎左衛門
【主君】 豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠
【氏族】 津田氏

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概要 (説明はWikipediaより)

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。

山城国御牧藩主。

大名の衣装や日用品を収納する挟箱を考案した。

永禄5年(1562年)、津田盛月の次男として誕生。

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羽柴秀吉に仕えて、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いや天正18年(1590年)の小田原征伐に従軍する。

文禄元年(1592年)からの文禄・慶長の役では、肥前国名護屋城に在陣し、西の丸御前備衆を務め、500人の兵を預けられた。

文禄2年(1593年)、兄・信任が洛外千人斬り事件の犯人として逮捕されたため、津田家の家督を継ぐこととなる。

このとき、3万5000石から1万3000石に減封された。

文禄3年(1594年)からの伏見城築城にも参加している。

[sengoku-3]

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与し、本戦では西軍の戸田勝成と奮戦して武功を挙げた。

そのため戦後は所領を安堵され、御牧藩主となる。

ところが慶長12年(1607年)6月24日、織田有楽嫡男の頼長と美濃国清水藩主の稲葉通重や旗本の天野雄光らと共に京都の祇園に赴いたとき、茶屋四郎次郎もしくは後藤長乗の女房を始めとする美女7・8名を茶店に連れ込んで酒を飲ませたり、従者を木に縛り付け、刀を抜いて斬り捨てると脅すなどの乱暴狼藉を働いた経緯を徳川家康に咎められ、御牧藩は改易された。

一説には、関ヶ原の戦いで戸田勝成を討ったのは織田長孝の功績であったが、それを信成が横取りしたことを咎められたともいう。

正保2年(1645年)8月20日、下野国足利にて死去した。

享年84。

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