【時代】 安土桃山時代 – 江戸時代前期
【生誕】 元亀3年(1572年)
【死没】 寛永16年12月26日(1640年2月17日)
【改名】 福間虎松(幼名)→元良→元道
【別名】 通称:彦三郎、彦右衛門尉
【官位】 淡路守(受領名)
【主君】 毛利輝元→就隆
【氏族】 清和源氏山名氏庶流福間氏

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概要 (説明はWikipediaより)

安土桃山時代から江戸時代初期の武将。

下松藩家老。

父は福間元明。

通称は彦三郎、彦右衛門尉、淡路。

元亀3年(1572年)、毛利氏家臣の福間元明の子として生まれる。

天正13年12月13日(1586年2月1日)に元服し、毛利輝元から「元」の字を賜って元良(後に元道)と名乗る。

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天正14年(1586年)の九州征伐において、父・元明が戦死したことにより、その後を継いだ。

天正19年12月13日(1592年1月27日)には輝元より、「彦右衛門尉」に任じられている。

慶長8年(1603年)に毛利輝元の次男・就隆の御守御老として粟屋元相が付けられた際、奈古屋元忠、榎本元信と共に御抱守御用人となった。

この時、萩藩において500石を与えられていたが、嫡男の就辰へ譲り、隠居の身分で就隆の家臣として付けられた。

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翌慶長9年(1604年)には就隆付きの御抱守御用人となり、元和3年(1617年)に就隆へ周防都濃郡3万石が与えられた際には家老となった。

寛永16年12月26日(1640年2月17日)に死去。

享年68。

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