【時代】 戦国時代末期 – 安土桃山時代
【生誕】 不明
【死没】 不明
【別名】 長宗我部右兵衛、長宗我部親武
【主君】 長宗我部元親
【氏族】 長宗我部氏→戸波氏
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[sengoku-1]概要 (説明はWikipediaより)
戦国時代末期から安土桃山時代にかけての武将。
長宗我部氏の家臣。
戸波城、十河城を居城としていた。
[sengoku-2]父は長宗我部国親の弟である長宗我部国康である。
はじめは長宗右兵衛と名乗る。
永禄12年(1569年)、長宗我部元親は、一条軍の高岡群蓮池城を攻略したが、逃れて戸波城に籠った一条氏の将兵を追って戸波城を元亀元年に落城させた。
この結果、親武は元親から戸波城の城主に任ぜられる。
その際、戸波姓を名乗る。
[sengoku-3]長宗我部軍の四国平定で武功をあげ、天正12年(1584年)に十河城の城主となったが、羽柴秀吉軍の四国攻めでは、讃岐の植田城で防衛の任にあたった。
天正17年(1589年)の検地以前に死去し、後を子の親清がついだ。
[sengoku-4]戸波親武(最新無料動画を楽しみましょう♪)
[sengoku-sita]