【時代】 戦国時代
【生誕】 不明
【死没】 永禄12年12月6日(1570年1月12日)
【主君】 後北条氏
【氏族】 後北条氏

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概要 (説明はWikipediaより)

戦国時代の武将。

北条幻庵(長綱)の次男。

諱は氏信、輩行名は新三郎。

兄弟には北条長順、鶴松院(吉良氏朝室)がいる。

子は北条氏隆、妻は西園寺公朝の娘。

三代目武蔵小机城城主。

北条氏康が和歌の添削を依頼するほど、和歌の造詣が深かったとされる(喜連川文書)。

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永禄3年(1560年)、兄の三郎が夭折したため、父幻庵より家督を譲られ、永禄6年に小机城主となる。

永禄11年に甲相駿三国同盟を結んでいた武田信玄が駿河侵攻すると、北条氏は今川氏に助勢することになり、駿河に出兵した際に蒲原城(静岡県静岡市清水区)を預かった。

永禄12年(1569年)12月、第五次川中島の戦いを終えた武田軍が、武田勝頼を総大将、典厩信豊(信玄の弟・信繁の子)、山県昌景らを大将として襲来。

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北条軍では、弟・長順をはじめとする1000余で篭城するが、勝頼、信豊の猛攻で激戦となるが、同日中に落城した。

この結果、綱重、長順、それに狩野新八郎、清水太郎左衛門、笠原為継、荒川長宗ら城将は悉く討死した。

綱重は真田幸隆・信綱親子率いる真田勢に討ち取られたという(真田文書)。

墓所は静岡県三島市の祐泉寺。

戒名は三光院殿孝誉良玄大居士、家督は嫡男氏隆が継いだ。

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