【時代】 戦国時代 – 安土桃山時代
【生誕】 天文14年(1545年)
【死没】 天正14年12月12日(1587年1月20日)
【改名】 貞茂→親茂
【別名】 太郎左衛門、将監
【主君】 長宗我部信親
【氏族】 本山氏

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概要 (説明はWikipediaより)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。

長宗我部氏の家臣。

元の名を貞茂(さだしげ)といい、長宗我部氏へ臣従後に親茂と改名。

土佐国中部を支配した土佐七雄に数えられる本山氏の当主。

父本山茂辰は長宗我部氏と長年争っており、土佐国西部の大名・一条氏による和睦の取り成しで長宗我部国親の娘を娶り、親茂は嫡男として誕生した。

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それでも、長宗我部氏との争いは収まらず、永禄3年(1560年)5月の長浜の戦いでの敗北後は、本山氏は押される一方であった。

親茂は永禄5年(1562年)9月16日から9月18日までの長宗我部元親との鴨部の宮前の決戦で奮戦して勝利し、敵方の将兵511人を討ち取る活躍をみせた。

しかし、長宗我部氏の攻勢は続き、朝倉城や居城の本山城を失ってからは、瓜生野原(瓜生野城)にて篭城し何度も寄せ手を撃退するが、永禄7年(1564年)には父・茂辰が病死し、元亀2年(1571年)になって遂に降伏した。

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その後、元親に気に入られて一字を与えられ親茂と名乗り、一門衆に加えられ、元親の嫡男・長宗我部信親の家老として仕える。

その後、長宗我部氏の伊予進出で活躍している。

四国征伐により長宗我部氏が豊臣氏に臣従すると、天正14年(1586年)、豊臣秀吉の九州征伐に元親・信親父子は参陣し、親茂もその配下として同行した。

同年12月の戸次川の戦いで軍監・仙石秀久の作戦失敗により、島津勢に囲まれた親茂は主君・信親と共に奮戦するも両者共に討ち取られた。

享年42。

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