【時代】 戦国時代 – 安土桃山時代
【生誕】 不明
【死没】 不明
【官位】 山城守
【主君】 波多野秀治
【氏族】 荒木氏
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[sengoku-1]概要 (説明はWikipediaより)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
波多野氏の家臣。
丹波国多紀郡荒木城主。
丹波に影響力のあった波多野氏の家臣として仕えた。
[sengoku-2]豪勇の武将として知られ、織田氏の重臣・明智光秀が丹波に攻め込んできた時にも、織田軍を何度も撃退している。
天正7年(1579年)、波多野秀治が織田軍に捕らえられて処刑されると明智光秀に降伏した。
その際に光秀は氏綱の武勇を認めて家臣として仕えるように請われたが、自らは病身を理由に拒絶し、代わりに嫡男・氏清を出仕させている。
[sengoku-3]死亡時期については、天正10年(1582年)の本能寺の変に際し、明智方に属し瀬田で息子らと共に戦死したとする説(武家事紀)や、明智秀満の計らいで坂本城に籠城していたが脱出したという説(新撰豊臣実録)など、天正10年(1582年)以降も生存していた可能性もあるが、正確な没年は不詳である。
玄孫で陸奥国三春藩の重臣・荒木高村の嫡男は、藩主・秋田輝季の養子となり、家督を継いで三春藩4代藩主・秋田頼季となった。
[sengoku-4]荒木氏綱(最新無料動画を楽しみましょう♪)
[sengoku-sita]