【時代】 戦国時代
【生誕】 不明
【死没】 天文20年(1551年)
【別名】 通称:弾正忠、豊後守
【官位】 従五位下太宰少弐
【主君】 大内義隆
【氏族】 杉氏

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概要 (説明はWikipediaより)

戦国時代の武将。

周防国・長門国を本拠とする大内氏の家臣。

杉興長(おきなが)の子、応永の乱で活躍した杉豊後入道重運の子孫。

「興」の字は父同様、大内義興から偏諱を賜ったものである。

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周防国の大名・大内義隆(義興の子)に仕えて、筑前の守護代を務めた。

居城は若杉山城主。

享禄3年(1530年)には義隆の命を受けて大内軍を率いて少弐資元を攻めるが(田手畷の戦い)、資元の家臣であった龍造寺家兼の機略の前に一敗地にまみれた。

その後も大友氏などと交戦し、北九州の大内軍を任されていたと言う。

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天文19年(1550年)7月17日、従五位下に叙位、22日に太宰権少弐となる。

天文20年(1551年)、陶隆房(のちの晴賢)が謀反を起こした際には大内義隆に従ったが、義隆が大寧寺で自害した後、自身も九州糟屋浜において義隆に殉じて自害したという記録と、陶軍と戦い討ち死にした記録と、義隆と同行し共に切腹した記録があり、定かではない。

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