【時代】 戦国時代 – 江戸時代初期
【生誕】 天正7年(1579年)
【死没】 元和元年6月1日(1615年6月26日)
【別名】 須田大炊介
【官位】 大炊頭
【主君】 上杉景勝
【氏族】 清和源氏井上氏流須田氏

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概要 (説明はWikipediaより)

信濃国の武将で上杉氏の家臣。

須田満親の子。

官位は大炊頭。

須田大炊介とも。

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上杉景勝に仕え、信濃国須田城を領した。

慶長3年(1598年)、景勝が会津に移封されると、梁川城代となり、20,000石を与えられた。

慶長5年(1600年)の慶長出羽合戦では本庄繁長と福島口の守備を担当し、上杉領に侵攻して来た伊達政宗の軍勢を迎撃する。

10月6日の戦いで福島城は伊達勢に包囲され、城方将兵三百余の死者を出していたが、長義旗下の車斯忠らの部隊は、伊達政宗が福島城を攻略中、本隊の小荷駄隊を急襲し、小荷駄奉行の宮崎旨元(内蔵助)と人足勢を大いに打ち破るという武功を挙げた(松川の戦い)。

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慶長6年(1601年)、主家の出羽国米沢移封に伴い、6,666石に減封されるが、引き続き梁川城代を勤めた。

大坂冬の陣では鴫野の戦いにおいて後藤基次勢を相手に奮戦し、徳川秀忠から感状をもらったが、その時の戦傷が悪化して死去した。

享年37。

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