【時代】 戦国時代
【生誕】 不明
【死没】 天正11年4月21日(1583年6月11日)
【別名】 土肥親実
【官位】 但馬守
【主君】 畠山氏→上杉謙信→織田信長→前田利家
【氏族】 土肥氏

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概要 (説明はWikipediaより)

戦国時代の武将。

越中国の土豪。

上杉氏の家臣。

但馬守。

土肥氏は桓武平氏の流れをくみ、相模国土肥郷に在したことに始まる。

後に越中国の地頭職として配されている。

氷見地方に勢力を持った「真」を通字とする土肥一族が知られており、親真はその係累と考えられる。

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天正5年(1577年)の『上杉家家中名字尽』には、越中国衆の筆頭として上杉家中の列に加わっており、同年上杉謙信の能登侵攻に従軍し、畠山春王丸の篭る七尾城攻めに参加。

その後末森城を与えられた。

なお、能登畠山氏の家臣とする説もあるが、畠山家臣として活動したことを示す史料は残っていない。

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天正8年(1580年)。

加賀国の一向一揆を殲滅した織田氏家臣・柴田勝家らの侵攻を受けると降伏。

織田氏に属することとなり、末森城主の座に留まった。

能登国が前田利家に与えられると、長連龍らと共に与力として配された。

なお、このころに利家の妻・まつ(芳春院)の姪である末守殿を妻に迎えた。

天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで先鋒として出陣し、討死。

記事の引用元であるWikipediaはここをクリック

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