【時代】 戦国時代 – 江戸時代初期
【生誕】 不明
【死没】 慶長16年(1611年)
【別名】 楢村監物
【官位】 従五位下
【主君】 宇喜多直家→秀家→徳川家康
【氏族】 楠木氏(称・本姓橘氏)→楢村氏

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概要 (説明はWikipediaより)

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。

宇喜多氏の家臣。

後陽成天皇から「コトシヨリ花咲初ル橘ノイカデ昔ノ香ニ匂フラン」と書かれた宸筆色紙を賜る(『楢村系図』)。

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楠木正成の子孫楠木正虎の子を称す(『楢村系図』)。

宇喜多氏の家臣であった楢村監物の養子となる。

3100石を知行し、与力23人、鉄砲足軽40人を率いた。

小田原征伐や文禄・慶長の役に従軍。

慶長4年(1599年)のお家騒動の際は戸川達安に与同して大坂の宇喜多邸に籠るが、後に大谷吉継の仲介もあって主家に帰参する。

しかし、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いへの参陣を拒否されて再び主家を退出し、大和国奈良に閉居した。

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慶長7年(1602年)、徳川家康より備中国に2千石を与えられた。

その後、長男・孫兵衛之正の系統は断絶するが、次男・伊左衛門正隆の系統が藩士として存続する。

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