【時代】 戦国時代
【生誕】 享禄3年(1530年)
【死没】 天文16年3月5日(1547年3月26日)
【別名】 国王丸、七郎、宗阿
【官位】 修理大夫、信濃守
【氏族】 二本松氏
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[sengoku-1]概要 (説明はWikipediaより)
戦国時代の武将、二本松氏第7代当主。
陸奥国安達郡二本松城主。
享禄3年(1530年)、二本松氏第5代当主・二本松村国の子として生まれる。
この時期の二本松氏の系譜については諸説有る。
[sengoku-2]義氏が家督を相続したのは、天文15年(1546年)4月に兄の第6代当主・二本松家泰が死去した際であると思われるが、伊達稙宗・晴宗父子の争いである天文の乱に関する二本松氏の活動は、家泰存命中の時点においても既に義氏の名で記されている。
これは両者が混同されたためとも考えられる。
[sengoku-3]義氏および兄の家泰は稙宗方に属し、天文11年(1542年)9月13日には田村隆顕・石橋尚義らの援助を得て、家中の晴宗派の家臣を二本松城から追放し、さらに14日には八丁目城主堀越興行が晴宗方の遊佐美作守の城を攻略した。
また晴宗方に与した庶流の本宮宗頼を攻め、天文14年(1545年)6月3日には本宮城を攻め落とした。
天文15年(1547年)3月5日死去。
享年18。
義氏には子がおらず、叔父新城村尚の子・尚国が当主として迎えられた。
[sengoku-4]二本松義氏(最新無料動画を楽しみましょう♪)
[sengoku-sita]