【時代】 戦国時代
【生誕】 明応8年(1500年)
【死没】 天文9年10月16日(1540年11月14日)
【別名】 頼隆、三郎(通称)
【官位】 三河守
【主君】 大内義隆
【氏族】 清和源氏範頼流石見吉見氏
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[sengoku-1]概要 (説明はWikipediaより)
戦国時代の武将。
大内氏の家臣。
石見吉見氏10代当主。
石見国の国人である石見吉見氏は、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の弟・範頼を遠祖とする清和源氏の支流・吉見氏の傍流にあたる。
[sengoku-2]明応8年(1500年)、吉見頼興の次男として誕生。
永正7年(1510年)8月17日、長兄・興成(成興)が早世(享年17)したため嫡子となる。
隆頼の名乗りは主君の大内義隆より偏諱を受けたものである。
大内義興の娘・大宮姫(義隆の姉)を娶る。
享禄5年(1532年)4月12日に父・吉見頼興の死去を受け、家督を継承した。
[sengoku-3]天文9年(1540年)10月16日、先祖ゆかりの源御社(津和野木曽)に参詣したが、その後に向かった山口に滞在中に、何者か(山賊)に殺害され死去、享年41。
家督は僧籍にあった弟・正頼が還俗して継いだ。
性格的には文化人であったようで、天文7年(1538年)に先祖ゆかりの地である津和野に「祇園会」を復活させるなど、事績にもその一面が窺える。
[sengoku-4]吉見隆頼(最新無料動画を楽しみましょう♪)
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