【時代】 安土桃山時代
【生誕】 不明
【死没】 文禄2年2月2日(1593年3月4日)
【改名】 又四郎(幼名)→家種
【別名】 通称:権兵衛尉
【官位】 武蔵守
【氏族】 龍造寺氏→江上氏
無料の動画を楽しみましょう♪(↓をクリック)
YouTube responded with an error: Permission denied: Consumer 'api_key:AIzaSyCDrKuaF8iycbq8AoHMuLngEmpnFFM7Tq8' has been suspended.
[sengoku-1]概要 (説明はWikipediaより)
安土桃山時代の武将。
龍造寺隆信の三男として誕生。
江上武種の養子となって江上氏の家督を継ぎ、父から肥前国神埼郡勢福寺城主に任じられた。
父の命令で各地を転戦し、天正12年(1584年)の沖田畷の戦いにも参加している。
[sengoku-2]天正17年(1589年)、鍋島直茂が佐賀城に移ったため、代わって蓮池城主となる。
なお、このときに鍋島直茂の嫡男・勝茂を養子として迎えている(のち解消)。
豊臣秀吉の文禄の役にも参加して渡海したが、釜山で病没した。
威風堂々とした体格で、特に武勇に優れていたといわれており、兄弟の中で最も父、隆信の才を受け継いでいた事が窺える。
[sengoku-3]家種の子は江上姓を捨て、長子・茂美(佐野右京亮)は佐野氏を名乗り、次子・勝種(勝山大蔵)は勝山姓を名乗った。
茂美の子孫は佐賀藩士佐野氏の祖となった。
勝種は龍造寺伯庵を擁して幕府に龍造寺家の復興を訴えるも敗訴。
正保元年(1644年)に会津藩保科家預かりとなり、江上氏に復姓した。
慶安元年(1648年)に会津藩に召し抱えられ、子孫は会津藩士として続いた。
[sengoku-4]江上家種(最新無料動画を楽しみましょう♪)
[sengoku-sita]