【時代】 戦国時代 – 江戸時代前期
【生誕】 天文19年9月2日(1550年10月11日)
【死没】 元和7年11月9日(1621年12月21日)
【改名】 猪上新次郎→竹森次貞
【別名】 通称:新右衛門
【官位】 石見守
【主君】 黒田孝高→長政
【氏族】 猪上氏→竹森氏

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概要 (説明はWikipediaより)

戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。

筑前国福岡藩士。

黒田二十四騎の一人。

天文19年(1550年)9月2日、播磨国加古郡大野の日岡神社宮司・猪上俊久の三男として誕生。

幼名は新次郎。

永禄2年(1559年)、日岡神社が別所安治の襲撃を受けて全焼する。

その際、応戦した兄二人は討死し、新次郎は父・俊久、弟・若松丸と共に脱出する。

翌永禄3年(1560年)、父・俊久は黒田職隆の下僕となり、新次郎も黒田孝高に小姓として仕える事となった。

永禄8年(1565年)春に初陣。

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天正5年(1577年)の高倉山城攻めでは、城主・福原助就の弟・伊王野土佐守、家老・祖父江左衛門を討ち取った。

また、平塚為広が福原助就を討ち取った際にそれを補佐した。

その功績から、孝高により士分に取り立てられ、竹森新右衛門を名乗る。

天正6年(1578年)の播磨別府城の戦いでは一番首を挙げるが、左手の親指の付け根から手首までを斬り割られるという傷を負い、それ以後孝高の命により旗役となる。

天正8年(1580年)、200石を拝領し、旗奉行に任命される。

旗奉行として鳥取城攻め、備中高松城の戦い、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、城井谷攻め、文禄・慶長の役などに従軍。

この間、天正14年(1586年)に300石、翌天正15年(1587年)に400石、天正18年(1590年)に600石、文禄元年(1592年)に900石とたびたび加増を受けている。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、孝高に従って九州各地の攻略に従軍した。

[sengoku-3]

慶長6年(1601年)、名島城で2,500石を拝領。

福岡城博多口の百間石垣の工事も担当した。

慶長7年(1602年)に黒田忠之が生まれた際には、吉田長利と共に幼名「万徳丸」の名付け親となった。

この後、3,000石に加増され、石見守を称した。

元和7年(1621年)11月9日、福岡で死去。

享年72。

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