【時代】 戦国時代 – 安土桃山時代
【生誕】 1558年
【死没】 天正7年8月(1579年8月)
【改名】 酒井氏重→波多野秀香→二階堂秀香
【別名】 二階堂秀香、二階堂伊豆守
【官位】 従五位下伊豆守
【主君】 波多野秀治
【氏族】 丹波酒井氏→波多野氏

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概要 (説明はWikipediaより)

安土桃山時代の武将。

波多野元秀の三男。

二階堂家の家督を継ぎ、二階堂秀香とも名乗っていた。

丹波酒井氏の一族である油井城城主、酒井佐渡守重貞の次男として生まれる。

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酒井重貞は波多野七組の一人で波多野氏の重臣であった。

その後波多野元秀の三男として迎えられ、秀治の義弟となる。

また、正親天皇即位の儀には、波多野秀治とともに護衛兵を率いて上洛、忠勤を尽くす。

よって従五位下の官位を賜った。

第一次黒井城の戦いでは波多野秀香軍は東側に陣取り、明智軍の撃退に貢献した。

八上城合戦では兄・秀治とともに八上城に籠城して、織田氏の家臣・明智光秀軍と戦う。

1年半に及ぶ攻防ののちに兄である秀治、秀尚と共に磔に処されたと、近年の研究者は説明することが多いが、丹波篠山には以下のような伝承が伝わっている。

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秀治の死後、秀香は居城の大路城から八上城へ移り、波多野方の武将を集め、籠城の評定をなし、「万事伊豆守の采配に従うよう」と評議した。

このとき伊豆守が小島次郎四郎にあてた感状があるとされている。

小島次郎四郎は八上村小多田の出身であるから、『善導寺の里の歴史』には、小島氏に関する事項が記述されている。

事前の交渉により、六月一日、明智方より老婆と明智左近等武士三人、腰元衆五人が高城に到着しているが、和議違約により、老婆は磔殺の刑、付き人の武士は切腹、母の亡骸とともに、腰元は明智方に送還した。

また、「秀香・男秀朝(久左衛門、幼名藤八)、父秀香、高城籠城のとき、三歳。叔父、酒井彦右衛門に託す。甲冑一領、刀一腰を譲る、妻酒井三介の女。」とも記されており、古い記録が残っている。

天正七年8月9日、長い籠城の末、秀香は本丸に火を放ち、城内で自刃した。

享年21歳。

これによって、波多野氏宗家は滅亡した。

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