【時代】 戦国時代 – 安土桃山時代
【生誕】 不明
【死没】 天正6年(1578年)
【別名】 重郷、四郎右衛門尉
【主君】 伊東義祐
【氏族】 米良氏

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概要 (説明はWikipediaより)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。

日向伊東氏の家臣。

日向国臼杵郡門川城主。

米良氏は肥後菊池氏の末裔とされる。

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門川城は伊東領の北辺を担う日向三城(門川城・塩見城・日知屋城)のうち、最北端に位置する。

門川より北は伊東氏と敵対する土持氏の領地であり、このためか飫肥や真幸院の合戦に従軍した記録はない。

元亀3年(1572年)、木崎原の戦いに敗れた伊東氏が次第に島津氏に対し劣勢になると、その隙をついた土持親成に攻められるようになる。

三城は合力して土持氏を撃退したものの、天正5年(1577年)伊東氏は一時的に豊後国退去し、島津氏の軍門に下らざるを得なくなった。

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しかし、三城では島津氏を打ち破るため、豊後の大友氏の下に身を寄せた伊東義祐と密かに連絡を取り、大友氏を盟主と仰いだ日向侵攻を要請する。

これを受けて大友義統が大軍を擁して日向入りし、ここに伊東の都於郡復帰も成就するかに思われたが、天正6年(1578年)の耳川の戦いにおいて大友氏は島津義久に敗北を喫し、従軍していた日向三城の城主達(米良祐次、塩見城主・右松四郎左衛門尉、日知屋城主・福永氏本)も悉く戦死した。

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