【時代】 安土桃山時代 ― 江戸時代前期
【生誕】 元亀2年(1571年)
【死没】 寛永20年12月21日(1644年1月30日)
【改名】 又十郎→可郷→栄郷→易英
【別名】 又十郎、主殿、備後守、因幡守、栄卿
【主君】 前田利家→利長→利常→光高
【氏族】 奥村氏

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概要 (説明はWikipediaより)

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。

前田家の家臣、加賀藩年寄。

加賀八家奥村分家初代当主。

発給文書で確認される実名は可郷(慶長期)→栄郷(元和期)→易英(寛永期)。

元亀2年(1571年)、前田氏家家臣・奥村永福の子として誕生。

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天正12年(1584年)、佐々成政に末森城を攻められた際に父や兄と共に城を守る(末森城の戦い)。

その後、1000石の知行を賜り世子、前田利常に仕える。

天正18年(1590年)、豊臣氏の小田原征伐に出陣し八王子城攻めで戦功を立てる。

また、慶長5年(1600年)、大聖寺城攻めで戦功を立て2000石加増される。

慶長19年(1614年)、大坂冬の陣に従軍して真田丸の戦闘に参加し、4500石を加増される。

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では父・永福と共に金沢城の留守居を務めた。

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元和2年(1616年)に加賀藩家老となり、前田利次や前田利治誕生の際には蟇目役を務めた。

また父の死後、遺領3300石を相続している。

寛永20年(1643年)10月光高の江戸出仕の際に、前田貞里と共に金沢城代に任命された(再任)が、同年12月21日に死去、享年73。

家督は嫡男・和忠が先立って死去したため、奥村庸礼が嫡孫承祖した。

また外孫の正富も養子となり1000石を賜り、分家して馬廻組となった。

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