【時代】 戦国時代 – 安土桃山時代
【生誕】 永正16年(1519年)
【死没】 慶長15年6月4日(1610年7月23日)
【別名】 助六、右京、備後
【官位】 右京亮、備後守
【主君】 毛利元就→隆元→輝元
【氏族】 高階姓高氏庶流国司氏

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概要 (説明はWikipediaより)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。

毛利氏の家臣で、五奉行の一人。

永禄10年(1567年)頃、父・元相の隠居によって家督を譲られ、父の後を継いで五奉行として活動。

毛利輝元の守役を務めた。

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天正10年(1582年)5月に毛利元就の娘婿である上原元将が羽柴秀吉の調略を受けて織田氏に降ると、元武は上原元将と親しかった湯浅将宗に元将離反の報せを届けた。

将宗は直ちに吉川元春と小早川隆景に元将離反を報じて自らの潔白を示し、元春と隆景は直ちに楢崎元兼を派遣して上原元将の日幡城を攻め落とさせた。

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豊臣秀吉の天下統一後、文禄・慶長の役でも、朝鮮に渡り戦功を挙げるなど、毛利氏の重臣として活躍した。

天正15年(1587年)に、弟の国司元蔵に家督を譲って隠居。

毛利氏の防長移封後は、元蔵の知行地である伊賀地村に移住して暮らした。

慶長15年(1610年)、萩において行年92歳で死去。

同地(現:山口市徳地伊賀地)の西方寺に葬られた(西方寺は現存せず、墓地のみが残る)。

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