【時代】 戦国時代
【生誕】 不明
【死没】 弘治3年(1557年)3月
【別名】 通称:十郎
【官位】 大蔵少輔、備中守
【主君】 大内氏
【氏族】 問田氏
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[sengoku-1]概要 (説明はWikipediaより)
戦国時代の武将。
大内氏の家臣。
通称は十郎。
大蔵少輔、備中守。
子に安弘(やすひろ)、弘胤(ひろたね)。
[sengoku-2]父親には諸説が多いが、大内政弘・大内義興の側近として仕えた問田弘胤の孫で、問田興之(おきゆき)の子だという。
大内義隆に仕えて石見国守護代を務めたが、石見国は吉見氏や益田氏など国人の支配が強かったため、守護代としての力はさほどではなかった。
天文20年(1551年)の陶隆房(のちの晴賢)の謀反では隆房に協力して義隆を自害に追い込み、後を継いだ大内義長に仕えた。
[sengoku-3]弘治元年(1555年)10月の厳島の戦いにも晴賢に従い参戦した。
しかし晴賢が自害すると、奇跡的に脱出を遂げたとされている。
しかし1557年、毛利元就の追討を受け、最終的には杉重輔の攻撃により陶長房(晴賢の子)ともども周防富田において自害に追い込まれた。
[sengoku-4]問田隆盛(最新無料動画を楽しみましょう♪)
[sengoku-sita]