【時代】 安土桃山時代
【生誕】 元亀元年(1570年)
【死没】 天正18年11月19日(1590年12月15日)
【改名】 中畠晴時、隈井晴時
【官位】 大学介
【主君】 白河結城氏、蒲生氏郷
【氏族】 大和源氏陸奥石川氏流中畠氏(中畑氏)、隈井氏

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概要 (説明はWikipediaより)

安土桃山時代の武将。

白河結城氏の一門で、後に蒲生氏の家臣。

中畑 晴時とも呼ばれる。

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中畠晴常の子として誕生。

兄・晴辰の跡を継ぎ、隈井城(観音山館)を譲り受ける。

小田原征伐後に奥州に進軍する豊臣秀吉に同調せず、秀吉が会津に向かった際、勢至堂峠の馬尾滝で秀吉を火縄銃で狙撃するが、弾を逸らし秀吉殺害に失敗、晴時は隈井姓に変えて身を隠した。

その後、蒲生氏郷に従い九戸政実の乱に出陣し、討死した。

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子・晴倶は家臣の相楽氏に匿われ成長したので相楽氏を名乗り、のち会津に入った加藤嘉明に仕えたという。

子孫は水戸藩に仕え、結城姓に復した。

なお、松尾芭蕉と親交があった須賀川の俳人相楽等躬は、晴倶の五男・貞栄の子(晴時の曾孫)にあたる。

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