【時代】 戦国時代
【生誕】 不明
【死没】 不明
【改名】 昌頼→宗齢(号)
【官位】 遠江守(受領名)
【氏族】 望月氏

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概要 (説明はWikipediaより)

戦国時代の武将。

信濃国の国人。

望月城主。

望月氏は滋野氏の流れを汲み海野氏・根津氏と共に「滋野三家」と呼ばれる。

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甲斐国の武田晴信(信玄)が、天文11年(1543年)に信濃諏訪郡を制圧すると、翌天文12年(1544年)には佐久・小県郡への侵攻を開始する。

昌頼は長窪城主の大井貞隆と共に甲斐武田氏に抵抗するが、同年9月19日には長窪城が落城して貞隆は捕縛され(『高白斎記』)、昌頼も本拠の望月城から逃れたと考えられている。

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その後は貞隆と同じ岩村田大井氏で小諸城主・大井高政を頼って小諸へ逃れるが(天文13年高野山蓮華定院文書)、ほどなく出家。

旧領復帰を果たす事なく、天文14年(1546年)あるいは翌天文15年(1547年)の文書を最後に消息不明となる。

天文14年(1545年)4月に、子の望月盛時が武田家に降り、望月信雅(望月源三郎)・新六兄弟が武田氏に帰順した。

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